世界観。

運動でもしようかなぁと、ここ最近、何度か近所の文化センターなどを覗きにいってたのですが、実に色々な講座があることを改めて知りました。
「新聞紙でつくるエコバック講座」とか。
なんだよそれ、誰がそんなもんにお金だしてわざわざ学ぶんだよ。大体そのバッグ使うの!??と突っ込みたいところですが、注目すべきはそこではないのでしょう。
世の中・商売・金儲け、中身ではなく口先一丁だ、あ、いえ、そんな言い方したら下品ですね、何事もプレゼンテーションだ、というべきでしょうか、そういうことを思いました。
実際、お金出して学びたい人が存在するから講座があるんですしね。

例えば、
料理ものすごくうまいけど盛り付けやテーブルコーディネートがイマイチ < 料理はそこそこだけど見せ方がピカ一。
商品はものすごくいいんだけど、ディスプレイが適当 < 商品一点一点は他でも買えるけど、セレクトと見せ方がかっこいい。

人類一般的な志向なのか、現代の在り方がそうなのか、わかりませんが、少なくとも今私が生きている先進国の隅っこでの現実はそう見えます。

口先一丁なんて言いましたが、もちろん、適当な言葉でええように言い繕う、という程度の意味じゃないです 。
ストーリーを感じせ、世界観を見せる。
新聞エコバッグだって、新聞でできたエコバッグが欲しいと思わせているわけではなくて、思いがけないものから結構な見栄えの、しかも使えそうなものが作り出せる、というその物語に参加者は惹かれるんだと思うのです。私がやってる絵やものづくりの世界でも同じです。
しかし、私はどうもそういうところが苦手です。

料理は好きだけど、盛り付けはもちろん、テーブルコーディネートなんて正直どうでもいいし、自分がつくったものも、誰かいいようにアレンジしてよーん、と思ってしまう方です。商売をするという意味では、明らかに弱点だと思います。
(そもそも作るもんが大したことないやん、という批判はもちろん受け付けますが)

世の中、こういうケースは溢れているんでしょう。
そんじょそこらの料理研究家より料理が上手な主婦はたくさんいるでしょうし
売れっ子自己啓発本作家よりはるかに深い言葉を持つおじいさんもたくさんいるでしょう。
何が違うかというと、本人にその気があるかないかという話を除くとすれば、それを外に向かって見せ(られ)ているかどうか。
中身が全くダメなものであれば、いくらストーリーを作り上げたところで意味を成しませんが、ある段階でもって、商業的には、中身の重要性と外見の重要性が逆転する(ことも多い)、そんな感じがしています。

コミュニケーションだとか4Pだとかプレゼンテーションだとかマーケティングだとか、一生懸命勉強しましたが、自分が行動しながら感じ取ることは、歩みはやたらにノロいですけど、格段の立体感を持って見に染みます。

12歳の感覚

興味深いエントリに出会いました。
無報酬でも今の仕事をやりますか?

いいですね。特に「12歳の頃」というのはすんごいよく分かります。私の場合は小学5年生(10-11歳頃)だと思っていますが、まぁ大きな違いはありません。もしかしたら男女で多少成長時期のずれがあるかもしれないし。
何にしろ、すべての興味の源は小学校卒業前に出揃ってるし、10-11歳頃の、興味への特別な集中の仕方は今につながってるというのが実感としてあります。

頭脳的にも身体的にも、おおよそのことが理解&できるようになって、世の中にも視点が向き始める、かつ思春期前の10歳〜12歳頃って、「社会人」になるための大きな鍵となる時期ではないかというのが私の仮説です。特に家庭/学校以外の活動に参加すると爆発的に吸収できるタイミングなのではないでしょうか。発達教育学的に、こういう研究があるのかどうか、わからないですが、社会参加の第一歩的な体験ができるといいのではないかなぁと経験から感じています。

と、偉そうに書いていますが、未だもって自分の生きる道は模索中。現実的に割り切れないタイプなのです。
ちょうどいいので、当時の自分の興味とか傾向を書きだしてみます。

実際にやっていたこと:
a.漫画(漫画雑誌に初めて投稿してみたのがこの時期)
b.音楽(市の合唱団に入って、ものすごく熱中してました)
c.料理、お菓子づくり(友達と「お菓子レシピ交換日記」をしてみたり、図書館で借りてきたレシピ本をノートにイラスト入りでまとめたり)
d.情報収集/編集的なこと。今風に言うとキュレーションとも言えるのでしょうか(?)。c.とも関連しますが、興味を持ったことについて、図書館で調べて、文章でまとめあげるという作業にすごく熱中しました。
社会科で出てきた「公害病」に興味を持って、イタイイタイ病のことを調べたり、当時の中曽根首相が「単一民族発言」したことをきっかけに知ったアイヌ民族のことを調べたりしたのを覚えています。…改めて思い出すと結構社会派だな、私。(笑)
同時に、誌面レイアウトというのもおもしろいと感じました。文字はどう揃えるのがわかりやすいかなぁ?とか、どんなバランスだと読みやすいかなぁ?とか。学級新聞づくりを自ら言い出したこともあります。(これはもうちょっと早い学年だったかも?)現場取材はせずに文章づくりと誌面構成だけをする新聞記者になりたかったな(笑)。

漫画はストーリーづくりの才能がまるでなかったし、全コマ全ページ同じ完成度、丁寧さで仕上げなくてはならないという作業も性に合わないことがわかりました。中学入学後は、音楽とファッションに興味が移って、漫画は滅多に読まなくなってしまいましたので、比較的興味の度合いは低かったのかもしれません。絵を描くということだけは今も残っていますが、この点については、渦中すぎて、今はうまく分析できませんので割愛。

bの音楽について。音楽そのものの才能は全くですが、エンターテイメントとか、身体感覚、人前でのパフォーマンスという要素は、今の自分の中に結構根を下ろしているように思います。音楽自体よりも、「人に伝えるための演出」のほうがむしろ大切な要素として私の中に残っているという感じがします。
あと、どうやったらうまく発声できるのか、というしくみとか練習のプロセスとか、そういうこと自体がおもしろかったです。

プロセスについては、c,d,でも共通することかも。ものづくりにしても、情報収集、解説、伝達にしても、how?というのが中心にある気がします。
c,d,については仕事にこそしていませんが、日々の中で現在進行中。何かつながらないかしら、という虫のいい妄想は常にあります。
自分の性格も考え合わせると、絵やエンターテイメントよりもむしろこちらの要素のほうが重要な気もするし、このあたりはこれからの課題です。幸い、今はインターネットがありますから、気軽かつ真剣に遊んでみたらいいかなと思っています。

12歳(〜10歳)の感覚。「マスタリー」の追求。昔に戻れはしないし、戻りたいとも思わないですが、当時の感覚は忘れないようにしたいと思っています。

webの波にのる

「ネットがあれば履歴書はいらない-ウェブ時代のセルフブランディング術 (宝島社新書)」
佐々木 俊尚, 宝島社 680 円
読了(2010-04-07) ☆☆☆★
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ブログなどで自ら(の)情報を自由に発信できるようになる中、
無用な情報公開は何らかの被害につながる可能性もあるわけで
ある程度は知識を持ち、慎重になる必要がある、というのは一般的な認識としてあると思います。

私自身、営業用としてのサイトを持っているだけでなく、最近は割と積極的に各種Webメディアを利用しているのですが、「自らの身を守る」ということを考えると、そこでの情報の扱い方については石橋を叩いて思案してる状況でした。
そのあたりの態度について、著者の佐々木さんは「可能な限りオープンにすること」を前提に、Webを介したダイナミックな「世の中への関わりかた、世の中での在り方」を提言されています。

佐々木さんが挙げている一つの例として「エゴサーチ」、自分の名前(あるいはハンドルネーム)を検索したときに自分の発信した、もしくは自分についての情報が結果に表示されるという現実〜検索した側はそれを元にその人となりを知る、というものがあります。
最近、私の名前で複数の検索結果が出るようになってきたこともあって、このことの意味や可能性についてはまさに実感していたところ。

さらに、(これはmixiや自分のサイト/ブログ程度では感じていなかったのですが)
twitterを使いだしたあたりから、「私自身」としてより広い世の中に「ぽん」、と参加し〜ほんとに「ぽん」、と参加する感じ。すごく身軽。〜またそこに何らかの反応をもらえるという予感をかなりはっきりと感じつつあります。
自分の存在が形成されていくおもしろさ。リアルな「私」は気づいたらもうこの世にいて、物心ついた時にはすでにその存在ができあがっていたんですが、物心ついた自分が、自分の存在ができていく過程を自ら観察しているおもしろさ、も新鮮です。

twitterを使いだした後にFacebookやYoutubeなどのアカウントを次々と取ったのですが、それもこの予感が後押しになったものです。
絵を描く私、文章を書くのが好きな私、ハウスキーパーとしての私、私の好きな音楽、ファッション、読んだ本、私から見た社会とそれに対する意見…、多面的な自分を自ら編集しつつ、かつありのままに、変化も含めてダイナミックに見せることができるし、またそのことで人との出会い、新しい関係が広がって行く可能性。

具体的にどうしていくかはこれから改めて考えるのですが、この、新しい形での世の中での自分の在り方については結構わくわく、肯定的に捉えています。

ちなみに、mixiの場合は基本的に「友だち」に限定された場であり、この本で言われる「web」の世界からすると少し立ち位置がずれることになります。
最近、mixiのCMは若者向けみたいな感じになってるようですが、
年齢層がどうこうでなく、「学生時代の友人を代表とする仲間うちとの関係」のための場なのか、
「社会(に関わる)人」のための場なのか、ということで分けて考えると
mixiがCMを通して打ち出しているコンセプトも納得だし、大人が使ってても違和感はないわな、と。