旅のツール(洗濯編)

今回の台湾旅は、約一週間の旅。
往路は展示用作品もたくさんありましたので、それ以外の日用品をどれだけ減らすかは大切でした。
幸い、同じ場所での滞在でしたし、日本より気温が高い地域でしたので、最もベーシックな手段「現地で洗濯する」ことに決定。
ただし、もちろん、洗濯するならその準備がいります。

まず洗濯を干すという問題。
洗濯ロープというのがどこにでも売っていますが、これまでの経験上、洗濯ロープを引っ掛ける場所がない、というケースが結構あります。
どうしようかなぁと思ってたら、100円~500円均一ショップにて、ドアの上部にひっかけるタイプの複数枚干せるタオルかけのようなものを見つけたので、今回はこちらを持っていくことにしました。大量の洗濯物は無理ですが、下着とタオルくらいなら干せます。
同じように、軽量で折りたたみできる、床置式のタオルハンガーみたいなのでもいいかも。

次に、どれだけ早く乾かすかという問題。
いくら暖かいと言っても、手で絞っただけのものを一晩あるいは一日で乾かすのはなかなか厳しいものがあります。
こちらは、王道のバスタオルドライ。広げたバスタオルに、洗った洗濯物を乗せ、端からくるくると巻いてそのまま絞りとる、という方法です。
ただし、バスタオル自体が結構かさばりますから、家にあるもので一番薄手のを選んで持っていきました。
話がそれますが、バスタオルって分厚くある必要は全くないなぁと思っています。やたらふっくらした立派なのをいただいたりしますが、そんなにびしょびしょなものを拭くことってまずないので、自分で買うならなるべく薄くてペラペラしたのがいいなと思っています。乾きやすい。

そして、洗剤ですが、今回はこちらにしました。

洗濯だけでなく、顔も体も洗える…と、まぁ所謂普通の石けんなので、何でも洗えて当たり前なんですが、ちょっとおしゃれな感じのこれです。
こちらに決めるにあたっては、少し迷いました。
携帯性を考えれば、粉石けんが一番です。うっかり荷物の中で漏れ出したときのリスクも少ないし、いざとなったら機内持ち込みもできる。価格も粉せっけんの方が圧倒的に安いです。
ただ、洗濯だけでなく、お風呂でも使うことを考えると、粉石けんをわざわざ溶かして使うのはもしかしたら面倒かなぁと考えてこちらに。
いや、正直に言うと、マジックソープを使ってみたかった、というのもありますw。

結果的には結構良かった!洗濯はもちろん、少量で泡立つので、体にも頭にも、ストレスなく使えました。
髪の毛用には、念のためクエン酸(粉末)をリンス用に持っていきましたが、リンスなしでも問題ありませんでした。
ただ、顔にはちょっと洗浄力がきつすぎたかもしれません。旅の途中で、ちょっとヒリヒリした感じになってしまいました。
今回はティートゥリーという、殺菌力もある精油入りのを選んでしまったので、そのせいもあるかもしれません。次の機会には別のを試してみようかな。

ちなみに、体にも頭にも使えて良かった、と思えたのは、私が日頃から石けんシャンプー派だからかもしれません。そうじゃない人は、特にシャンプーとしては使い辛いかも。やっぱりキシキシしますので…

12歳の感覚

興味深いエントリに出会いました。
無報酬でも今の仕事をやりますか?

いいですね。特に「12歳の頃」というのはすんごいよく分かります。私の場合は小学5年生(10-11歳頃)だと思っていますが、まぁ大きな違いはありません。もしかしたら男女で多少成長時期のずれがあるかもしれないし。
何にしろ、すべての興味の源は小学校卒業前に出揃ってるし、10-11歳頃の、興味への特別な集中の仕方は今につながってるというのが実感としてあります。

頭脳的にも身体的にも、おおよそのことが理解&できるようになって、世の中にも視点が向き始める、かつ思春期前の10歳〜12歳頃って、「社会人」になるための大きな鍵となる時期ではないかというのが私の仮説です。特に家庭/学校以外の活動に参加すると爆発的に吸収できるタイミングなのではないでしょうか。発達教育学的に、こういう研究があるのかどうか、わからないですが、社会参加の第一歩的な体験ができるといいのではないかなぁと経験から感じています。

と、偉そうに書いていますが、未だもって自分の生きる道は模索中。現実的に割り切れないタイプなのです。
ちょうどいいので、当時の自分の興味とか傾向を書きだしてみます。

実際にやっていたこと:
a.漫画(漫画雑誌に初めて投稿してみたのがこの時期)
b.音楽(市の合唱団に入って、ものすごく熱中してました)
c.料理、お菓子づくり(友達と「お菓子レシピ交換日記」をしてみたり、図書館で借りてきたレシピ本をノートにイラスト入りでまとめたり)
d.情報収集/編集的なこと。今風に言うとキュレーションとも言えるのでしょうか(?)。c.とも関連しますが、興味を持ったことについて、図書館で調べて、文章でまとめあげるという作業にすごく熱中しました。
社会科で出てきた「公害病」に興味を持って、イタイイタイ病のことを調べたり、当時の中曽根首相が「単一民族発言」したことをきっかけに知ったアイヌ民族のことを調べたりしたのを覚えています。…改めて思い出すと結構社会派だな、私。(笑)
同時に、誌面レイアウトというのもおもしろいと感じました。文字はどう揃えるのがわかりやすいかなぁ?とか、どんなバランスだと読みやすいかなぁ?とか。学級新聞づくりを自ら言い出したこともあります。(これはもうちょっと早い学年だったかも?)現場取材はせずに文章づくりと誌面構成だけをする新聞記者になりたかったな(笑)。

漫画はストーリーづくりの才能がまるでなかったし、全コマ全ページ同じ完成度、丁寧さで仕上げなくてはならないという作業も性に合わないことがわかりました。中学入学後は、音楽とファッションに興味が移って、漫画は滅多に読まなくなってしまいましたので、比較的興味の度合いは低かったのかもしれません。絵を描くということだけは今も残っていますが、この点については、渦中すぎて、今はうまく分析できませんので割愛。

bの音楽について。音楽そのものの才能は全くですが、エンターテイメントとか、身体感覚、人前でのパフォーマンスという要素は、今の自分の中に結構根を下ろしているように思います。音楽自体よりも、「人に伝えるための演出」のほうがむしろ大切な要素として私の中に残っているという感じがします。
あと、どうやったらうまく発声できるのか、というしくみとか練習のプロセスとか、そういうこと自体がおもしろかったです。

プロセスについては、c,d,でも共通することかも。ものづくりにしても、情報収集、解説、伝達にしても、how?というのが中心にある気がします。
c,d,については仕事にこそしていませんが、日々の中で現在進行中。何かつながらないかしら、という虫のいい妄想は常にあります。
自分の性格も考え合わせると、絵やエンターテイメントよりもむしろこちらの要素のほうが重要な気もするし、このあたりはこれからの課題です。幸い、今はインターネットがありますから、気軽かつ真剣に遊んでみたらいいかなと思っています。

12歳(〜10歳)の感覚。「マスタリー」の追求。昔に戻れはしないし、戻りたいとも思わないですが、当時の感覚は忘れないようにしたいと思っています。

行けば行くほど自由なんです

ほぼ日での、草刈民代さん、周防監督、糸井さんの対談を読みました。
対談後半の草刈さんの言葉、
「行けば行くほど自由なんです」
なんてかっこ良くてうなずける言葉なんでしょう。

草刈さんは表現者、芸術家として、未だ道のない道を進んでいくことについて言っているのですが
私としては、モノをつくる人間として共感すると同時に、普通の人が自分の人生を生きるにあたっても当てはまる言葉だと思いました。

自分で考え、自分の良いと思う選択肢を取ると、周囲から批判されるのは日常的なことです。
例えば、「楽しく仕事したい」と言えば「仕事は辛いもんだ」と言われる。
楽しいという言葉の捉え方自体が人それぞれという前提問題はあるにせよ、
みんな我慢してるんだからお前も我慢しろ、という理屈はしょっちゅう突きつけられます。
苦労こそが美徳、地道に努力してればいつか報われるという日本人好みの価値観でしょうか。

「電話は面倒だし、相手の都合もあるんだからメールで」と言えば
「メールなんて失礼だ」なんて言われることもあります。
それが習慣だ、この世界はこうなんだ、って話です。
電話が最先端だった頃は「電話なんて失礼だ」だったのに、そんなこと忘れちゃうんでしょうね。

ここ最近、私の「生き方」に関する興味として
「評価経済」や「ノマド」というキーワードがあります。
既存の価値基準にとらわれず、より自分にフィットした、より時代にフィットしたやり方で
自分にとって幸せな居場所をつくっていこうよ、という考え方です。
(評価経済については、玉置沙由里さんや、岡田斗司夫さん/子飼弾さんなどがブログや著書で触れていらっしゃいますので、興味のある方は読んでみてくださいね。)

私もモノ作りをしていて、あるいはどうにも商売が苦手だということもあって(苦笑)こういった考え方はとってもしっくり来るので、
自分が実践するにはどうするのがいいかな、と地味にチューニングしているのですが
恐らくこういった事も、ある人たちから見れば、甘ったれたユートピア論でしかないんだろうと思います。

理想の実現を甘えやユートピア論で終わらせないためには、もちろん徹底して実践し、お腹に力を入れて内外の障害物に抗わなければなりません。
が、その時に「行けば行くほど自由なんです」という言葉はとても響く!
そう。批判や反論、障害物はあろうとも、やっちゃえば、形になっちゃえば、その段階ごとに確実に自由になれるんですよね!

この言葉に至るいろいろなお話、どれも興味深いのですが、芸術やモノ作りにしろ、生きる事そのものにしろついて回る「お金」や「環境」についてのお話もおもしろいです。
いくつか引用させていただきますが、よかったら通して読んでみてくださいね。

お金を稼ぐことがどれだけ大事か

でも、機会をもらって映画に出て、
世間的な知名度が上がったおかげで
バレエの仕事が増えた。
そのぶん収入も変わりました。
そうすると、
自分に必要だと思うトレーニングやレッスンに
ものすごくお金が
つぎ込めるようになったんです。

私がそういうことをやりはじめたら、
周りの先生たちに
ものすごく批判されたんですよ。
「トレーニングと組み合わせても、
 バレエダンサーの体にはならないよ」と。
でも私は、ケガを克服していかなきゃ
ならなかった。

結局7年間で
腰痛は一切なくなって、体も変わり、
踊りのレベルもすごく上がりました。
やはり自分が思う存分使えるお金がなければ、
なかなかそこまではできません。

私はわりと性格的に強いところもあるし、
ほかの仕事をしても
踊りをやりきるという筋は曲げなかったので
いろんなチャンスを
踊りを活かすためのものにできました。
でも、それを踊ってる本人全員に
求めるというのも、ほんとうは変な話です。

行けば行くほど自由なんです。

でも、こういう題材を映画にして、
こんな作品ができたということがあれば、
映画を作る人たちにも、もっと
「あ、なんでもありかな」って
思ってもらえると思う。

映画監督でも踊る立場でも、やりようによって
その人なりに行きつく所が
絶対にあるはずです

【読書】奇跡の脳

奇跡の脳
奇跡の脳 
ジル・ボルト・テイラー・著 竹内薫・訳 /新潮社

脳解剖学者である著者自らが脳卒中で倒れ、左脳の機能を失ってから、回復するに至るまでを記録した本。
脳に障害を受けた人が、どんな体験をし、どう感じているのか
回復の段階で、どういった体験をしているのか
非常に興味深いです。

左脳の機能を失ったということは、物事を順序立ててとらえたり考えたりすることはもちろん、言葉を理解したり発したりということもできません。
当然、周囲の人間には、本人がどういう状態にあるのか知ることはできません。
そういうケースに出会ってしまったときに、少しでも役に立って欲しいというのが著者の願いであり、私もそう感じました。

興味深かったのは、一時的に左脳を失い、「右脳のみ」となった著者が、恐怖や苦痛ではなく、「限りない幸せ」を感じていた、ということです。
人は、何らかの刺激や周囲あるいは自分の状況、過去の体験や未来の見通しについて、喜びや希望を感じると同時に、不安や恐怖を抱きます。
しかし、そういった何らかの刺激にたいする「感情、考え」は、すべて左脳がもたらす「物語」。
過去も未来も因果関係もなく、ただ今、ここにある刺激をそのままに受け止めているという状態(右脳による刺激受容のみ)では、ただひたすら幸せだ、というのです。
さらには、自分の体と外界との境目も感じなくなり(これは左脳の仕事)、外界の全エネルギーと一体化しているという感覚にも包まれるといいます。
人は、ただ生まれてそこにいるだけで良い。
現代社会ではしばしばそのことが許されず、自分で自分を評価できなくなってしまったりしがちです。しかし、「本来的な生き物としての存在価値」=「生きている、そのこと自体が奇跡であり幸せである」…しばしば宗教的哲学的に言われることが、この本にも書かれていて、そのことに感動を覚えました。


前半は著者の回復プロセスについて、
周囲の人間が(心配や絶望の気持ちではなく)希望を持って、常に前向きな刺激を与えること、十分に睡眠をとらせること、できなかったことではなく、できるようになったことにひたすらフォーカスし祝福すること…それは母親が赤ん坊に接するのと全く同じだ、と思いました…がどれだけ脳の回復(成長とも言えます)に役立つか、ということが書かれています。

後半は、左脳の機能を回復しつつある著者が、しかし、左脳によってもたらされる余計な物語…ネガティブ、攻撃的、悲観的…に再びとらわれず、右脳がもたらす根源的な幸福感を持ったままいかに社会に対応していくのか、哲学的ともいえる考えと取り組みがまとめられています。
その中には、宗教的、スピリチュアル的とも捉えられそうな内容がしばしば出てきますので、場合によっては拒否反応(あるいは理解できない)を示す人もいるかも。
でも、「より良く生きたい」と考える人であれば(私自身も含めて!)ぜひ一度トライしてみて、と思うことばかりです。
目の前で起きていることを、すぐに評価せず、ありのままに受け入れること。
何か刺激を受けた場合、瞬間的には不快感を覚えるかもしれませんが、生理的なその反応(著者によると90秒)をやりすごした後は、左脳によるネガティブな物語にひきずられずに、自分にとって平和をもたらす「思考回路」を、自らの心掛けによってつくってみること。

★5つ、プラスαα。