【読書】きえもの日記/高山なおみ

河出書房新社
発売日 : 2015-04-17

高山さんの日記が好きで、全部読みたいなと思いながら、半ばわざと、少しずつ読んでいる。
この本もそんな高山さんの日記の一つなのだけど、でも、いつもと全然違った。
ベテランの高山さんが、テレビドラマの料理という初めての仕事に向かう日々。その心情を、いつもの率直さで書き記しているのだ。
とてもやりたい仕事で、でも、とても荷が重くて…全編を通し、高山さんの緊張が伝わってくる。伝わりすぎて、私の脈拍まで上がって、耳鳴りや不眠(緊張状態がダラダラ長く続いたときの、私の症状だ)を引き起こしそうになる。

―考えなければならないことが山積みなので、これまでのことを忘れてしまう。なんだか、手が震えるような感じなのだ。(P23)
―どこかがずっと緊張しているのだ。(中略)どこへも行かないよう、風船のひもを握られているような……。(P27 )

高山さんは、フリーランスだ。どれだけ大きな仕事であろうと、指導してくれる上司も、アドバイスをくれる先輩も、使える社内リソースのようなものもない。
あるのは、自身の経験の蓄積と、仲間。

慣れない仕事では、自分の弱さとも、もろに直面してしまう。自身を顧みる高山さん。

ー私はいったい何なんだろう。(中略)緊張し、畏れ多くて手が震える。言葉も出ないし、脳みそが止まってしまうみたいなのだ。(P59)

撮影は進んでいく。仕事のシーンの高山さんは、それでも、とてもスムーズに自由に役割を果たしているように見える。アイデアを出し、イメージはイメージどおりに形にしていく。それは、高山さんの確かな実力と実績の表れだ。経験は嘘をつかない。固い信頼を担保にした仲間は、何よりの力になる。
時に失敗しながら、孤独に不安と向き合いながら、一方の現場では、プロとして充分にパフォーマンスし続ける高山さんの姿が、二重写しになる。

ベテランであろうと、初心者であろうと、「初めて」はあるし、緊張したり戸惑ったり失敗する。言葉一つから、わからないことだらけだし、次の展開のイメージはわかないし、それ故、自分を安心させることができない。
でも、そのことをリアルタイムで(愚痴ではなく)吐露し続ける人はあまりいないし、いたとしても、第三者がそこに寄り添い続けるということは、ほぼあり得ない。
ところが、この日記には、それがある。

いつもと違う緊張感が、高山さんのベテランとしての実力や、人としての強さを、却ってくっきり炙り出す。
弱さ、不安、失敗、困難。
その時を、彼女彼らはどうやって受け止めて対応してきたのか。「結果」はその蓄積でしかない。

緊張感が、通奏低音のように響き続ける日記の中で、少しずつ、高山さんが「呼吸を始める」かのような記述が増えていくのが印象的だ。

暫く不在にしていた夫のスイセイさんが、帰宅するシーン。
―スイセイが帰ってきたら、家も息をしはじめた。私も、息をしはじめた……ような感じ。(P30 )

―きのうは、現場での見の置き方が、ようやくひとつ分かったような気がした。「クウクウ」(引用注:高山さんが昔シェフをしていたレストラン)の大忙しの厨房のときみたいに、おへその下に気合が入った。(P80)

パフォーマンスを出せる必要条件は何か。
普遍的な言葉で一言で表すなら、「ニュートラルでい続けられる」ことに尽きると思う。
どんなにパニックでも、瞬時に基本ポジションに自分を戻せること。
実力の高低や経験の多少は、パフォーマンスの客観的な上限値を定めるが、その時出せる最高の力を出せるか否かについて、これ以外にないと思う。ニュートラルであり続けること。おへその下に力が入っていること。
あるジャンルに関して、自分がそういう状態でいられるかどうか。その後の成長に決定的な影響を与えることは間違いない。
料理のベテランである高山さんも、そうやってキャリアを積んで来られたんだ、ということがリアルに伝わる。

―重しがお腹のそこに座り、アタフタすることは一度もなかった。(中略)重心が下にあると、足さばきがよくなってスイスイ動ける。(p123)

中庸、ニュートラル、丹田。
東洋のモノの考え方によく出てくるキーワードだが、実際のところ、生き方も、仕事も、基本はこれしかない。
「心の置き方」という言葉も出てくる。
高山さんの日記は、いつも率直で、媚やブレがない。
それは、高山さん自身の仕事をも、当然貫いている「心の置き方」そのものなのだろうと思う。
高山さんの料理、文章、実力、信頼、仲間。
その全てに私は憧れているけども、本書を通じて、その芯なるものに、少しの間触れることができて、読んでいることがとても幸せだった。同時に背筋が伸びた。

最後に木皿泉(妻鹿さん、和泉さん)さんとの対談が出てくるが、それも必読。
高山さんと文章について。というか、文章のほうを好む人と、喋るほうを好む人の違いについて。
私自身、明らかに前者なのだが、妻鹿さんが「喋るほうがホント(の自分)っていう人のほうが多いと思う。(文章については)ちょっと嘘になっちゃうのがほとんどでは」とおっしゃっているのが、おもしろくて目からウロコかつ、納得。

私は(プロのレベルではないけども)文章が書けてよかった、と、ちょっと誇りにも思った。

瓶の蓋

瓶の蓋いろいろ
瓶の蓋について調べました。
ジャムとかソースとか、たまになのですが、保存食ぽいものをつくります。
その時に、適当な空き瓶を再利用するのですが、ガラス瓶の本体は、割れなければ半永久的に使えるのに対して、蓋は消耗品。
食品の酸などで、サビがでたり、そうでなくても裏側についてるゴムっぽいの(多分パッキンの役目)がダメになります。
新しい瓶を買えばいいのですが、蓋だけ買えば経済的。でも、サイズというのがイマイチわかりません。規格は統一されているのか否か?興味が湧いたので調べてみました。

家に転がっている、いくつかの蓋を比べてみると、いくつかの大きさに分類できるみたい。ということは、規格があるんだな!
瓶の蓋を扱っている通販サイトの商品情報を便りに、覚書。
※実際に試したわけではなく、自分で測ったサイズを元にしてるので、間違いの可能性もあります!

手前から
ボンヌママンの大サイズ(370グラム入り)…ツイストキャップ82(または83という商品もあり。どっち?同じ?)
パスタソースのキャップ…ツイストキャップ63
ボンヌママンの普通サイズ(225グラム)…ツイストキャップ70
中央奥の小さめサイズ…ツイストキャップ58
右奥のスクリュータイプ。蜂蜜の瓶の蓋など…スクリュー(ネジ式)キャップ70

規格というか、販売されている蓋の種類に当てはまらないのもいくつかあった。台湾製とか、アメリカ製の食品の瓶。国が違うから仕方ないのかな。ボンヌママンはフランスだけど…

しかし、いろんなサイズがあるとややこしい。ツイスト/スクリュー70サイズの瓶は他にもいくつかあったから、今後はこれを基準に、残す瓶と捨てる瓶を分けよう。
ちなみに、ボンヌママンの瓶は、広口で使いやすいから、本体も優秀。ジャムを買うときはこれに統一しようかな。

旅のツール(洗濯編)

今回の台湾旅は、約一週間の旅。
往路は展示用作品もたくさんありましたので、それ以外の日用品をどれだけ減らすかは大切でした。
幸い、同じ場所での滞在でしたし、日本より気温が高い地域でしたので、最もベーシックな手段「現地で洗濯する」ことに決定。
ただし、もちろん、洗濯するならその準備がいります。

まず洗濯を干すという問題。
洗濯ロープというのがどこにでも売っていますが、これまでの経験上、洗濯ロープを引っ掛ける場所がない、というケースが結構あります。
どうしようかなぁと思ってたら、100円~500円均一ショップにて、ドアの上部にひっかけるタイプの複数枚干せるタオルかけのようなものを見つけたので、今回はこちらを持っていくことにしました。大量の洗濯物は無理ですが、下着とタオルくらいなら干せます。
同じように、軽量で折りたたみできる、床置式のタオルハンガーみたいなのでもいいかも。

次に、どれだけ早く乾かすかという問題。
いくら暖かいと言っても、手で絞っただけのものを一晩あるいは一日で乾かすのはなかなか厳しいものがあります。
こちらは、王道のバスタオルドライ。広げたバスタオルに、洗った洗濯物を乗せ、端からくるくると巻いてそのまま絞りとる、という方法です。
ただし、バスタオル自体が結構かさばりますから、家にあるもので一番薄手のを選んで持っていきました。
話がそれますが、バスタオルって分厚くある必要は全くないなぁと思っています。やたらふっくらした立派なのをいただいたりしますが、そんなにびしょびしょなものを拭くことってまずないので、自分で買うならなるべく薄くてペラペラしたのがいいなと思っています。乾きやすい。

そして、洗剤ですが、今回はこちらにしました。

洗濯だけでなく、顔も体も洗える…と、まぁ所謂普通の石けんなので、何でも洗えて当たり前なんですが、ちょっとおしゃれな感じのこれです。
こちらに決めるにあたっては、少し迷いました。
携帯性を考えれば、粉石けんが一番です。うっかり荷物の中で漏れ出したときのリスクも少ないし、いざとなったら機内持ち込みもできる。価格も粉せっけんの方が圧倒的に安いです。
ただ、洗濯だけでなく、お風呂でも使うことを考えると、粉石けんをわざわざ溶かして使うのはもしかしたら面倒かなぁと考えてこちらに。
いや、正直に言うと、マジックソープを使ってみたかった、というのもありますw。

結果的には結構良かった!洗濯はもちろん、少量で泡立つので、体にも頭にも、ストレスなく使えました。
髪の毛用には、念のためクエン酸(粉末)をリンス用に持っていきましたが、リンスなしでも問題ありませんでした。
ただ、顔にはちょっと洗浄力がきつすぎたかもしれません。旅の途中で、ちょっとヒリヒリした感じになってしまいました。
今回はティートゥリーという、殺菌力もある精油入りのを選んでしまったので、そのせいもあるかもしれません。次の機会には別のを試してみようかな。

ちなみに、体にも頭にも使えて良かった、と思えたのは、私が日頃から石けんシャンプー派だからかもしれません。そうじゃない人は、特にシャンプーとしては使い辛いかも。やっぱりキシキシしますので…

12歳の感覚

興味深いエントリに出会いました。
無報酬でも今の仕事をやりますか?

いいですね。特に「12歳の頃」というのはすんごいよく分かります。私の場合は小学5年生(10-11歳頃)だと思っていますが、まぁ大きな違いはありません。もしかしたら男女で多少成長時期のずれがあるかもしれないし。
何にしろ、すべての興味の源は小学校卒業前に出揃ってるし、10-11歳頃の、興味への特別な集中の仕方は今につながってるというのが実感としてあります。

頭脳的にも身体的にも、おおよそのことが理解&できるようになって、世の中にも視点が向き始める、かつ思春期前の10歳〜12歳頃って、「社会人」になるための大きな鍵となる時期ではないかというのが私の仮説です。特に家庭/学校以外の活動に参加すると爆発的に吸収できるタイミングなのではないでしょうか。発達教育学的に、こういう研究があるのかどうか、わからないですが、社会参加の第一歩的な体験ができるといいのではないかなぁと経験から感じています。

と、偉そうに書いていますが、未だもって自分の生きる道は模索中。現実的に割り切れないタイプなのです。
ちょうどいいので、当時の自分の興味とか傾向を書きだしてみます。

実際にやっていたこと:
a.漫画(漫画雑誌に初めて投稿してみたのがこの時期)
b.音楽(市の合唱団に入って、ものすごく熱中してました)
c.料理、お菓子づくり(友達と「お菓子レシピ交換日記」をしてみたり、図書館で借りてきたレシピ本をノートにイラスト入りでまとめたり)
d.情報収集/編集的なこと。今風に言うとキュレーションとも言えるのでしょうか(?)。c.とも関連しますが、興味を持ったことについて、図書館で調べて、文章でまとめあげるという作業にすごく熱中しました。
社会科で出てきた「公害病」に興味を持って、イタイイタイ病のことを調べたり、当時の中曽根首相が「単一民族発言」したことをきっかけに知ったアイヌ民族のことを調べたりしたのを覚えています。…改めて思い出すと結構社会派だな、私。(笑)
同時に、誌面レイアウトというのもおもしろいと感じました。文字はどう揃えるのがわかりやすいかなぁ?とか、どんなバランスだと読みやすいかなぁ?とか。学級新聞づくりを自ら言い出したこともあります。(これはもうちょっと早い学年だったかも?)現場取材はせずに文章づくりと誌面構成だけをする新聞記者になりたかったな(笑)。

漫画はストーリーづくりの才能がまるでなかったし、全コマ全ページ同じ完成度、丁寧さで仕上げなくてはならないという作業も性に合わないことがわかりました。中学入学後は、音楽とファッションに興味が移って、漫画は滅多に読まなくなってしまいましたので、比較的興味の度合いは低かったのかもしれません。絵を描くということだけは今も残っていますが、この点については、渦中すぎて、今はうまく分析できませんので割愛。

bの音楽について。音楽そのものの才能は全くですが、エンターテイメントとか、身体感覚、人前でのパフォーマンスという要素は、今の自分の中に結構根を下ろしているように思います。音楽自体よりも、「人に伝えるための演出」のほうがむしろ大切な要素として私の中に残っているという感じがします。
あと、どうやったらうまく発声できるのか、というしくみとか練習のプロセスとか、そういうこと自体がおもしろかったです。

プロセスについては、c,d,でも共通することかも。ものづくりにしても、情報収集、解説、伝達にしても、how?というのが中心にある気がします。
c,d,については仕事にこそしていませんが、日々の中で現在進行中。何かつながらないかしら、という虫のいい妄想は常にあります。
自分の性格も考え合わせると、絵やエンターテイメントよりもむしろこちらの要素のほうが重要な気もするし、このあたりはこれからの課題です。幸い、今はインターネットがありますから、気軽かつ真剣に遊んでみたらいいかなと思っています。

12歳(〜10歳)の感覚。「マスタリー」の追求。昔に戻れはしないし、戻りたいとも思わないですが、当時の感覚は忘れないようにしたいと思っています。

行けば行くほど自由なんです

ほぼ日での、草刈民代さん、周防監督、糸井さんの対談を読みました。
対談後半の草刈さんの言葉、
「行けば行くほど自由なんです」
なんてかっこ良くてうなずける言葉なんでしょう。

草刈さんは表現者、芸術家として、未だ道のない道を進んでいくことについて言っているのですが
私としては、モノをつくる人間として共感すると同時に、普通の人が自分の人生を生きるにあたっても当てはまる言葉だと思いました。

自分で考え、自分の良いと思う選択肢を取ると、周囲から批判されるのは日常的なことです。
例えば、「楽しく仕事したい」と言えば「仕事は辛いもんだ」と言われる。
楽しいという言葉の捉え方自体が人それぞれという前提問題はあるにせよ、
みんな我慢してるんだからお前も我慢しろ、という理屈はしょっちゅう突きつけられます。
苦労こそが美徳、地道に努力してればいつか報われるという日本人好みの価値観でしょうか。

「電話は面倒だし、相手の都合もあるんだからメールで」と言えば
「メールなんて失礼だ」なんて言われることもあります。
それが習慣だ、この世界はこうなんだ、って話です。
電話が最先端だった頃は「電話なんて失礼だ」だったのに、そんなこと忘れちゃうんでしょうね。

ここ最近、私の「生き方」に関する興味として
「評価経済」や「ノマド」というキーワードがあります。
既存の価値基準にとらわれず、より自分にフィットした、より時代にフィットしたやり方で
自分にとって幸せな居場所をつくっていこうよ、という考え方です。
(評価経済については、玉置沙由里さんや、岡田斗司夫さん/子飼弾さんなどがブログや著書で触れていらっしゃいますので、興味のある方は読んでみてくださいね。)

私もモノ作りをしていて、あるいはどうにも商売が苦手だということもあって(苦笑)こういった考え方はとってもしっくり来るので、
自分が実践するにはどうするのがいいかな、と地味にチューニングしているのですが
恐らくこういった事も、ある人たちから見れば、甘ったれたユートピア論でしかないんだろうと思います。

理想の実現を甘えやユートピア論で終わらせないためには、もちろん徹底して実践し、お腹に力を入れて内外の障害物に抗わなければなりません。
が、その時に「行けば行くほど自由なんです」という言葉はとても響く!
そう。批判や反論、障害物はあろうとも、やっちゃえば、形になっちゃえば、その段階ごとに確実に自由になれるんですよね!

この言葉に至るいろいろなお話、どれも興味深いのですが、芸術やモノ作りにしろ、生きる事そのものにしろついて回る「お金」や「環境」についてのお話もおもしろいです。
いくつか引用させていただきますが、よかったら通して読んでみてくださいね。

お金を稼ぐことがどれだけ大事か

でも、機会をもらって映画に出て、
世間的な知名度が上がったおかげで
バレエの仕事が増えた。
そのぶん収入も変わりました。
そうすると、
自分に必要だと思うトレーニングやレッスンに
ものすごくお金が
つぎ込めるようになったんです。

私がそういうことをやりはじめたら、
周りの先生たちに
ものすごく批判されたんですよ。
「トレーニングと組み合わせても、
 バレエダンサーの体にはならないよ」と。
でも私は、ケガを克服していかなきゃ
ならなかった。

結局7年間で
腰痛は一切なくなって、体も変わり、
踊りのレベルもすごく上がりました。
やはり自分が思う存分使えるお金がなければ、
なかなかそこまではできません。

私はわりと性格的に強いところもあるし、
ほかの仕事をしても
踊りをやりきるという筋は曲げなかったので
いろんなチャンスを
踊りを活かすためのものにできました。
でも、それを踊ってる本人全員に
求めるというのも、ほんとうは変な話です。

行けば行くほど自由なんです。

でも、こういう題材を映画にして、
こんな作品ができたということがあれば、
映画を作る人たちにも、もっと
「あ、なんでもありかな」って
思ってもらえると思う。

映画監督でも踊る立場でも、やりようによって
その人なりに行きつく所が
絶対にあるはずです