台湾人生

酒井 充子
文藝春秋
発売日:2010-04

(本書よりの引用)

日清戦争後の下関条約によって、台湾は清から日本に割譲された。この事実は、日本では、中学、高校の歴史の教科書で必ず習う。しかし、(中略)五十一年間、日本の統治下にあった台湾で、台湾の人々がどんな気持ちでどんな暮らしをしていたのか、戦後、その人たちはどうしているのか、いまの日本をどんな思いで見つめているのか、といったことを考えたことがある日本人はどれだけいるだろう。少なくともわたしは、初めて台湾に行き、日本語世代のおじいさんに話しかけられるまで一度も考えたことがなかった。

著者の酒井充子さんの文章の引用ですが、私が台湾に観光以上の興味を持ったきっかけと全く一緒です。
私の場合は、約5年前、淡水の、鉄卵を売るお店でのことでした。

単に日本語で話しかけられるだけであれば、観光地、あるいはかつての統治国での当たり前に近い出来事だったかもしれません。
でも、あまりの流暢さと、その話し方が商売目的の興味を引くための日本語ではない、彼のアイデンティティと共にある日本語であるような印象(…というのは、その後いろいろな情報を総合してそう受け止めるようになったのですが、無意識ながらもそういう印象です。)を受けたことに驚きました。
1949年〜1987年、38年もの戒厳令(この間日本語禁止)を経て、60年以上前に学んだ言葉をここまで身体にしみ込ませているってなんなんだろう?

本書は、日本語世代の方への、日本語でのインタビューで構成されています。
懐かしさ、悔しさ、寂しさ、怒り…日本への「想い」が詰まっています。

伝わってくるメッセージは、以前に観たドキュメンタリー映画「風を聴く/雨が舞う」と似ていますが、似ているだけに、さらに重みを持って感じざるを得ません。

かつての統治国で、しかも、他の過去の統治国のようにヒステリックに日本を悪く言わない。それどころか、日本を想って、想って、想っている人たちがいるのです。(もちろん、日本への不満や批判もありますが、それでもその根底にあるのは血の通った「想い」のように感じます。)
日本と台湾は正式な国交を持っていません。当然、当時「日本人」であった人への、日本人としての援助や補償もされないままです。
国交云々については、政治的な背景もあり簡単にはいかないのかもしれません。
でも、個人として、台湾と日本の関係を知り、台湾の人たちの想いを知ることはできます。
過去の行いを批判されて反省しないのは(事実だという前提に立てば)問題ですが、
慕ってくれているのに全く無関心というのも罪深いのではないでしょうか。

教科書上の歴史ではない、台湾と日本の関係を、今ならまだリアルなこととして知ることができるのです。
日本人はぜひ、読んで欲しいと思いました。

以前に観た「トロッコ」という映画の川口監督も、インタビューで同じようなことをおっしゃっています。
台湾を知り、同じことを感じる人が複数いるというのも興味深いことです。

かって日本統治を受けながら、中国や韓国とは違う、頭ごなしに日本が悪いとは言わない人々。こんな台湾があり日本と繋がりがあるのはどうしてなのかと、疑問を持ってもらう入り口になって欲しい。日本の統治とか、日本語教育とか、国内の民族争い等が加わり、彼らのアイデンティティが生れるわけですが、

仕事の成しかたを考えるー「30歳からの成長戦略」

30歳からの成長戦略 「ほんとうの仕事術」を学ぼう

この本が最初に書かれたのは2004年。
6年前の自分がまさにそこに(笑)

行き詰まり、手応えのなさ、経済的な不安、モデル不在。
少しでもできることを、とビジネススクールに通い…

その後、しかしこれでは私は勝てないしおもしろくない、と舵を切ったのが30歳の頃。
好きなことじゃないと勝てない、そもそも続かない、
自分の興味への集中と、その結果の成長、そして外からの評価というサイクルを連動して回していくにはどうしたらいいか…と考えた結果でした。

このあたりは著者の山本さんが示していらっしゃる道筋に、はからずも沿っていたといえそうな気がします。
一方、文句言わずに現場で実際にやってみなくちゃ…とトライした結果、手も足も出ない、助けを呼ぶにも伝えることすらできない…という自分の未熟さに呆然としたという事実も、隠さずにいたほうが良いかもしれません。

そして舵を切って入ってみた世界、ここにもやはり競争はあり、生き残りがあり…つまりのところ、入れ子構造なのでした。
そして、出くわした壁も姿は違えど本質は変わらない気がしています。
漠然としていて、具体的な姿が見えない。何か、自分がこれまでに克服したことがないことが重要な鍵で、しかしそれがわからない。かといってここでまた呆然としていたくない。

今回の世界は、ビジネス界のように「大衆化した知」がないぶん、さらに手がかりが掴みにくいです。大衆化どころか、経験知が暗黙知のまま漂っているように見えます。
それは「イラストレーター業界(出版/広告等業界内での位置づけ)」然り、「イラストを描く能力そのもの」然り。
論理思考がもてはやされるビジネス界で、下手に全体思考、抽象思考を披露すると痛い目に合うのと同様、こちらで下手に言語化、論理思考を試みると途端に孤独を味わいます。
私自身には言語化するだけの経験そのものが足りていないし。

そこで感じるぼんやりした壁に私はどう対応しようか?
絵を描いて見せるとう感覚勝負の世界で、感覚だけではそこにあるものをつかみ取れない私は一体どうしようか。

「好きなこと×人気のないことで差別化を」と著者の山本さんは言います。
でも、人気のないことって何だろう??
それ以前に、こちらの世界ではさらに競争が厳しく、「好きなこと×好きなこと」でしか戦い得ないのでは、というふうにも思います。

とはいえ。
だからこそ。
「好きなこと×好きなこと」を、「絵」の中にさらに追求する一方
「絵とビジネス思考/特に論理思考の両輪に手を伸ばしてきた私」という天邪鬼ぶりを、もっと深めるときなのでしょう。
既に好きなをやっているはずに私だけども、来てみたら「好きなこと畑」は思ったより広かった。さて、どこをどうやって耕すべきか…

「異分野の本の読書からヒントを得てきた」という山本さんの事例に対して、私の異分野への興味の拡散ぶりはそもそもが甚だしいものですが、「アウトプット指向の読書」ではなかった、という点。

「高いレベルの集中力で特定の時間ないにいきなりクリティカルマスを越える。ある水準を越えるとドカンとアウトプットの品質が上がる」というのは、例えば個展前の異常な集中時に経験したことでしょうか。
この集中力を日頃からコンスタントに発揮していればもっと…という罪悪感、ここは、本書の助けを借りて一度「開き直って」みてもいいかも、と感じたこと。

具体的に自分の仕事に当てはめることができなかった「心のマネジメント/無欲への挑戦」という部分。

このあたりをさらなる仮説として、試行を続けたいと思います。

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ところで、本書の中に「レゾナンス思考法/着眼両極・着手単極」の紹介があります。
そもそもが絵を描くこと(イメージすること)からスタートする私が、ビジネススクール時代に一番もどかしかったことなのですが(出会ったみんなは本当に大好きだし心から尊敬しているんですけどね!!ある種思考回路が似ているというか。笑)、
優れた経営者やコンサルタントが、この思考プロセスを経て「論理的な」アウトプットを生成するのに対して、
同じプロセスを経て「ビジュアル的な」アウトプットを生成するのが優れたデザイナーと言えるのだと思っています。
経営者の立場でのこの具体例は、フレッシュネスバーガー創業者である栗原幹雄さんの「面白いことをとことんやれば、「起業」は必ずうまくいく。」、
デザイナーの思考回路がわかる本としては、原研哉さんの「デザインのデザイン」、佐野研二郎さんの「思考のダイエット」などがあるので、(私の貧弱な読書歴の中からではありますが…)記しておきたいと思います。

北京大学てなもんや留学記

第一章、のっけから「これ読んで北京大学に留学したいと思う人いるんだろうか…」なエピソード満載!
著者自身の体験が本音で綴られています。
わけのわからない中国、嫌な中国、暖かい中国、国としての中国と、個人としての中国人。

本音だけに主観を強く感じるので、ところどころ、意識的に距離を置きながら読んだのですが(特に差別感情、反日意識、共産党云々のところは一つの意見を鵜呑みにしたくないので)、
全体を通して、著者の、できるかぎり物事の両面、根本を見ようという姿勢は伝わってくるので、かなりズバズバ書いている部分でも一方的な印象はそれほど受けません。体験記として存分に楽しむ事ができました。

それにしても、日本の日常生活と比べると相当にタフな体験。
見事に、「私の弱点」と重なる部分ばかりが要求されると思われる、中国での生活!!
著者の方も書かれていますが、地域文化が近い国よりも、体制が似ている国のほうが断然馴染み易いわけで、つまり、同じ海外と言っても、例えば北米での暮らしなんかとは全く比べようもない大変さが伺い知れます。
私が中国で生活する時が来たとして、それが所謂海外駐在員仕様の暮らしなんかではなく(いえもちろんそれでも大変でしょう。)、現地に直接アタックしなくてはならない環境だったとして、果たして耐えられるかしら…
でも、もしその環境で1年なり2年なり生活しきることができたとしたら、私怖いものなしになるかも…!なんて感じたのです。めっちゃ仕事できる人になっちゃうかも(笑)

私が今中国語を勉強している動機の一つとしては、中国人の、あけっぴろげな厚かましさ、無遠慮さ、言葉を代えれば本音を言い合っても引きづらなさそうなところ、大陸的大らかさ、優しさ に直接触れてみたいというのがあります。が、そんなことをうっかり忘れてしまいそうなくらい強烈な体験目白押しの様子…。
ココロして挑まねばなりません。

あと、印象的だったのは、中国人内での諸々の「差」。
いろいろな考え立場の人がいるのはどこでも当たり前なのですが、中国の場合はその時々の政治的背景、出身地、現在置かれている経済状況などに翻弄されている度合いがすごく強いようで、「個人の価値観」なんて簡単には言えないということに感じ入る部分がありました。

この他、外国語学習者のしての体験談、意見もおもしろく、参考になります。(語学勉強中で中国には興味はないけどという方は、この章だけ読んでみてもよいと思います。)
若干、文章が読みづらいと感じたのが残念ですが…
この著者の中国シリーズ、また読んでみたいなと思っています。

隠れルーツ(60’s〜70’s)

image.jpg 今日は仕事用の専門書を探しに行く夫について書店めぐり。
私のほうは特にあてはなかったのですが、本屋は好きなので気ままに見て楽しみに行きました。

そして偶然見つけたのがこの写真の本なのですが…。
著者は近代ナリコさん。
少し前に鴨居羊子さんの展覧会を見に行き、そのときに購入したのも近代さん(が、鴨居さんについて書かれた)の本だったので目に留まったのですが、今回のは「本と女の子〜おもいでの1960−70年代」タイトルのとおり、その時代の女の子向けの本がテーマのものです。

私は75年生まれなので、60年代はもちろん、70年代だってほぼ物心はない、といっていいのですが、ところがパラパラっとこの本をめくってびっくり。
知ってる本が紹介されているし、知らない本であっても、そのビジュアルには妙な懐かしさと親しみを強く感じるのです。

具体的には、サンリオの前身である山梨シルクセンターが出版したシリーズ本や、宇野亜喜良さんや内藤ルネさん、水森亜土さんらが挿画を担当された数々の本、雑誌などが紹介されています。
もちろん有名な方々ですから、その「名前」を知っているのは当たり前としても、まるで自分のルーツのように感じて新鮮。

そして、それもそのはず、幼い頃の私は自分用に所謂「かわいいもの」を買ってもらえるなんてことはほとんどなく、その代わりに目にしていたのが、近所のおねえちゃんたちのお下がりや、また、母の実家に残っていた、母含む三姉妹の持ち物。
この日記の最初に「知ってる本が…」と書いたのも、母の実家で見た本なのでした。
つまり、私の、かわいいものとかイラストレーションを代表とする「おしゃれなビジュアル」のルーツは、私自身にとってのリアル年代、80年代ではなくて、その一つ前、60年代〜70年代と言えるみたいです。

まだ中身はちゃんと読んでいないのですが、ぱらぱら、掲載されているビジュアルを見てるだけでも、その世界観やセンスにわくわくします。
今まで、自分のルーツなんてものにはいささかの興味もなかった、というかピンとこなかったのですが、その感覚も少し変わるかも。

ちなみに、写真の後に映ってるのは、同じく近代さんの「インテリア・オブ・ミー」。こちらはエッセイ集です。近代さんとの出会いにも興味をもって、一緒に購入してみました。
こちらも楽しみに読もうと思います。

Hair’em Scare’em

Hair'em Scare'em

「Quotation」という愛読雑誌で紹介されていた写真集。
小さな写真しか載ってなかったのですが、間違いなく好き!!と思ってアマゾンで購入しましたら大当たり!!めっちゃ好みでした。
タイトルのとおり、「毛」をテーマとしたいろいろなアーティストのアートワークがまとめられています。

もともと、美容師さんが読む専門雑誌の、何のためだかわからない(笑)実験的髪型を見るのが好きなのですが、そのさらにすごい版みたいな。
加えて、このところ密かに「髪の毛」ブーム。まだ完成してないのですが、髪の毛をテーマにした作品を作りかけてたりして、ぴったりはまってしまいました。
気持ち悪ーいけむくじゃら写真もあるんですが、それがまたテンションあがります。

ちょうど、GWのブリーゼブリーゼの開催中に届いたのですが、その中で一緒に出展していたアクセサリーデザイナーさんも好きに違いない!と持っていきましたら、やっぱり好きで、一緒に盛り上がりました。
こういうのも嬉しいなぁ。
ちなみに一緒に盛り上がったのは
Mum’s the WordのOさんとIさん。
Iさんは最近独立してソロ活動(?)もスタートされました。
AZUSA IIO
お二人ともすばらしいセンスとアイデアでいつも刺激をもらっています!