【読書】北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック

☆10個つけたい。とても良い本。
台湾に興味のある人はもちろん、台湾人日本人みんなにお薦めしたい。

「もう一つの中国」という副題は、台湾の人、中国の人にとってどういう意味を持つ表現なのでしょうか?
台湾は台湾、中国ではない、という現在の台湾の人の気持ちを受け止めたい私にとって、少し気になる点ではありますが、決して台湾が中国の一部だと主張する内容ではありません。
「もう一つの」というのは、本書がオリンピックの歴史を一つの軸としており、台湾の呼称をめぐって様々な駆け引きがあったことを示しています。

1972年冬季オリンピック札幌大会に、台湾からスキー選手が派遣される。雪のほとんど降らない国からなぜ?という疑問がこの本のスタートとなります。
背景には、直前の台湾の国連脱退という政治事情があるのですが、
本書では、戦後の、中国共産党と国民党の争いを発端とする、台湾と中国の関係を追いながら、台湾人スキー選手たち一人一人の人生を、丁寧に紹介していきます。

この、選手一人一人に向ける、著者の眼差しがとにかく暖かく、とてもいい。
裏に政治事情があるとはいえ、個人個人は、初めてのスキー、初めての外国に気持ちを昂らせる普通の若者であり、それぞれに女の子を追っかけてみたり、厳しいトレーニングに耐えながら少しずつスポーツ選手らしく成長していくというストーリーがあります。
その様子が活き活きと伝わり、著者が、とても誠実に、元選手たちとの信頼関係を築きながら取材にあたったのだろうな、という印象を受けました。とても上質なノンフィクションといえると思いました。(この著者の別のノンフィクションも、ぜひ読んでみたい。)

また、選手を育てた日本人スキー監督(日本でスキートレーニングの基礎を確立した第一人者)や、監督およびその一族;アルペンスキーで唯一オリンピックメダルを取っているのが、監督の親族なのですが、彼らを紹介するなかで書かれる、日本のスキー誕生の歴史もとても興味深い。
人との出会い、偶然の不思議について感じる点も多かったです。

現実として、スポーツと政治は無関係ではいられない。
選手としての活動を終えた後も、その影響は様々な形で選手の人生に影響を与えます。
なんだかんだと言いながら安定した日本に生きてきた私にとって、国の、国際社会での立ち位置が揺れ動く中で生きるというのがどういうことなのか、その中で、一人の人間として暖かい心を持ちながら生きるというのがどういうことなのか、思いを馳せずにいられませんでした。

思えば、私が台湾に強い興味を持つようになったのも、この「国、国際社会、一個人」の関係を意識させられたからです。
旅行者の私に、侵略者であったはずの、かっての統治国の言葉(日本語)で優しく話しかけてきたおじいさん。経済的に発展し、治安の不安も少ない国が、国として認められていないんだ、と知ったときの驚き。国同士の関係に生活を揺さぶられ続けてきたという歴史と、目の前にいる人達の明るさ、暖かさ、おおらかさのギャップ。

この本の眼差しは、私が興味を惹かれた、まさしくそのポイントに向けられていて、それゆえに強く共感したといえます。

台湾の歴史と日本の歴史は無関係ではいられません。
東アジア全体で見てももちろんそうです。
個人レベルに視点を移せば、一時は同じ言葉を話し、同じ価値観に基づく教育を受けた;強要されたというべきですが…;人達がすぐ隣の国にいる。
彼らとの交流から感じ取ること、彼らの人生を通して自分たちを改めて省みること。
その重みと、興味深さ、そして幸せを思うのです。

【読書】中国のマスゴミ〜ジャーナリズムの挫折と目覚め

中国の「マスゴミ」なんていうタイトルがついていますが、副題である「ジャーナリズムの挫折と目覚め」のほうこそ内容を指しているように思いました。背景には、中国関係の書物は売れない、という出版事情があったようですが、できればこの副題に注目してもらったほうが良いのではないかと思います。

本書の中で展開される、SARS発生時の報道をめぐるエピソード。国内で問題が発生した段階で当局が報道規制を敷き、外国メディアが気づいて騒ぎ始めた頃にはすっかり感染が広がっていたという話です。
もちろんこれは中国の報道規制問題を示す事例として紹介されているのですが、これを隣国の未熟な報道環境として笑えるのでしょうか。
折から、日本では原発事故に関連して、情報開示とマスコミの対応についての問題が顕になったばかりです。電力会社の記者会見の様子を、私もネット中継で視聴していたのですが、あれを見た後では本書のエピソードはまったく笑えないし呆れることもできない。まるで一緒。
もちろん、かたや一私企業の、いわば「個人的」ともいえる自己保身、かたや国家崩壊に怯える政府による暴力的な抑えつけがその背景であって、問題の構造は異なるのだけど、結果として伝えるべき情報が伝えられないという点には違いがない。
当時の中国では、不十分な情報を受けた国民の間に奇妙なデマが流れ、SARSに効くとしてヤクルトやキムチがばか売れしたという…

諸々の壁に阻まれて必要な情報にアクセスできないとしたら、果たして記者はどうするべきなのか。

厳しい報道規制と労働条件の下、腐敗していく中国人ジャーナリストたちがいる一方で、なんとかして伝えるべき情報を伝えようと文字通り命がけで取材し、記事を流すべく戦う記者もいるということ。
インターネットの登場によって、少しずつではあるが、報道が規制に打ち勝つチャンスができつつあること。
まっとうなプロ意識を持つ中国の記者から見れば、日本の報道環境はうらやましい限りでしょう。けれど、恵まれた環境(もちろんこれが当然の環境であるべきなのだけど)にいる日本人ジャーナリストはその魂を全うしているといえるのか。
著者は問う…

著者の記者としての誇り、ジャーナリズムへの愛情が感じられる本です。
マスゴミと言われるのは中国に限った話ではない。日本こそ、新聞、テレビは死んだ、スポンサーや社内圧力に迎合するばかり、ろくなニュースはないと見切る動きがあります。ある部分はそうかもしれません。でも、それでも報道の仕事に命をかけて、戦い続けている記者がいるし、自らもそうありたいという思いが溢れていると感じました。

前回読んだ同じ著者による「中国の女」もそうなのですが、具体的な個別の事例を通して、普遍的全体的な問題へと視点を誘ってくれる、血の通った文章。(もっともご本人は、情景描写から入るような文章、マクラとオチがあるような文章が得意で、所謂記事としてのフォーマットにのっかった文章が苦手、と告白しているのですが)
中国に関心のある人にはもちろんですが、今の日本で今のタイミングで読むと、また大変におもしろいのではないかと思います。

【読書】潜入ルポ 中国の女

福島 香織
文藝春秋
発売日:2011-02-22

スキャンダラスなタイトル、表紙。これだけ目にしても恐らくは手に取らなかったと思うこの本ですが、著者の福島香織さんをtwitterで知り、人として信頼できそうな、血の通ったジャーナリストだと感じて興味を持ちました。

いかにもなタイトルどおり、中国の底辺で生きる女性たちの話がのっけから出てきます。日本の男尊女卑なんて比ではない。農村では女性であるより牛や馬であるほうがましだ、というような喩えにもうなづいてしまうほどの過酷な現実。
でも、本書のテーマはそこではありません。
女性実業家、人権活動家、漫画家、小説家。上流階級、下層階級。文革世代、八十后。
ある時代、ある国を生きるということがどういうことかということを語るのに、女性という切り口がいかに効果的であることか!
「中国の今」が活き活きと鮮やかに切り取られている。そう感じました。
夢中で読破。
最初にも書いたとおり、福島さんを知ったのはtwitter上で、著書を読むのはこれが初めてなのですが、つぶやきから感じるとおりの、率直で温かく、親しみやすい文章です。それが強さにも通じていることが印象的。
女性はもちろん、政治経済からしか中国を考えたことのない男性にも、また、中国に特に興味がない人にも堂々とおすすめしたいです。

台湾人生

酒井 充子
文藝春秋
発売日:2010-04

(本書よりの引用)

日清戦争後の下関条約によって、台湾は清から日本に割譲された。この事実は、日本では、中学、高校の歴史の教科書で必ず習う。しかし、(中略)五十一年間、日本の統治下にあった台湾で、台湾の人々がどんな気持ちでどんな暮らしをしていたのか、戦後、その人たちはどうしているのか、いまの日本をどんな思いで見つめているのか、といったことを考えたことがある日本人はどれだけいるだろう。少なくともわたしは、初めて台湾に行き、日本語世代のおじいさんに話しかけられるまで一度も考えたことがなかった。

著者の酒井充子さんの文章の引用ですが、私が台湾に観光以上の興味を持ったきっかけと全く一緒です。
私の場合は、約5年前、淡水の、鉄卵を売るお店でのことでした。

単に日本語で話しかけられるだけであれば、観光地、あるいはかつての統治国での当たり前に近い出来事だったかもしれません。
でも、あまりの流暢さと、その話し方が商売目的の興味を引くための日本語ではない、彼のアイデンティティと共にある日本語であるような印象(…というのは、その後いろいろな情報を総合してそう受け止めるようになったのですが、無意識ながらもそういう印象です。)を受けたことに驚きました。
1949年〜1987年、38年もの戒厳令(この間日本語禁止)を経て、60年以上前に学んだ言葉をここまで身体にしみ込ませているってなんなんだろう?

本書は、日本語世代の方への、日本語でのインタビューで構成されています。
懐かしさ、悔しさ、寂しさ、怒り…日本への「想い」が詰まっています。

伝わってくるメッセージは、以前に観たドキュメンタリー映画「風を聴く/雨が舞う」と似ていますが、似ているだけに、さらに重みを持って感じざるを得ません。

かつての統治国で、しかも、他の過去の統治国のようにヒステリックに日本を悪く言わない。それどころか、日本を想って、想って、想っている人たちがいるのです。(もちろん、日本への不満や批判もありますが、それでもその根底にあるのは血の通った「想い」のように感じます。)
日本と台湾は正式な国交を持っていません。当然、当時「日本人」であった人への、日本人としての援助や補償もされないままです。
国交云々については、政治的な背景もあり簡単にはいかないのかもしれません。
でも、個人として、台湾と日本の関係を知り、台湾の人たちの想いを知ることはできます。
過去の行いを批判されて反省しないのは(事実だという前提に立てば)問題ですが、
慕ってくれているのに全く無関心というのも罪深いのではないでしょうか。

教科書上の歴史ではない、台湾と日本の関係を、今ならまだリアルなこととして知ることができるのです。
日本人はぜひ、読んで欲しいと思いました。

以前に観た「トロッコ」という映画の川口監督も、インタビューで同じようなことをおっしゃっています。
台湾を知り、同じことを感じる人が複数いるというのも興味深いことです。

かって日本統治を受けながら、中国や韓国とは違う、頭ごなしに日本が悪いとは言わない人々。こんな台湾があり日本と繋がりがあるのはどうしてなのかと、疑問を持ってもらう入り口になって欲しい。日本の統治とか、日本語教育とか、国内の民族争い等が加わり、彼らのアイデンティティが生れるわけですが、

仕事の成しかたを考えるー「30歳からの成長戦略」

30歳からの成長戦略 「ほんとうの仕事術」を学ぼう

この本が最初に書かれたのは2004年。
6年前の自分がまさにそこに(笑)

行き詰まり、手応えのなさ、経済的な不安、モデル不在。
少しでもできることを、とビジネススクールに通い…

その後、しかしこれでは私は勝てないしおもしろくない、と舵を切ったのが30歳の頃。
好きなことじゃないと勝てない、そもそも続かない、
自分の興味への集中と、その結果の成長、そして外からの評価というサイクルを連動して回していくにはどうしたらいいか…と考えた結果でした。

このあたりは著者の山本さんが示していらっしゃる道筋に、はからずも沿っていたといえそうな気がします。
一方、文句言わずに現場で実際にやってみなくちゃ…とトライした結果、手も足も出ない、助けを呼ぶにも伝えることすらできない…という自分の未熟さに呆然としたという事実も、隠さずにいたほうが良いかもしれません。

そして舵を切って入ってみた世界、ここにもやはり競争はあり、生き残りがあり…つまりのところ、入れ子構造なのでした。
そして、出くわした壁も姿は違えど本質は変わらない気がしています。
漠然としていて、具体的な姿が見えない。何か、自分がこれまでに克服したことがないことが重要な鍵で、しかしそれがわからない。かといってここでまた呆然としていたくない。

今回の世界は、ビジネス界のように「大衆化した知」がないぶん、さらに手がかりが掴みにくいです。大衆化どころか、経験知が暗黙知のまま漂っているように見えます。
それは「イラストレーター業界(出版/広告等業界内での位置づけ)」然り、「イラストを描く能力そのもの」然り。
論理思考がもてはやされるビジネス界で、下手に全体思考、抽象思考を披露すると痛い目に合うのと同様、こちらで下手に言語化、論理思考を試みると途端に孤独を味わいます。
私自身には言語化するだけの経験そのものが足りていないし。

そこで感じるぼんやりした壁に私はどう対応しようか?
絵を描いて見せるとう感覚勝負の世界で、感覚だけではそこにあるものをつかみ取れない私は一体どうしようか。

「好きなこと×人気のないことで差別化を」と著者の山本さんは言います。
でも、人気のないことって何だろう??
それ以前に、こちらの世界ではさらに競争が厳しく、「好きなこと×好きなこと」でしか戦い得ないのでは、というふうにも思います。

とはいえ。
だからこそ。
「好きなこと×好きなこと」を、「絵」の中にさらに追求する一方
「絵とビジネス思考/特に論理思考の両輪に手を伸ばしてきた私」という天邪鬼ぶりを、もっと深めるときなのでしょう。
既に好きなをやっているはずに私だけども、来てみたら「好きなこと畑」は思ったより広かった。さて、どこをどうやって耕すべきか…

「異分野の本の読書からヒントを得てきた」という山本さんの事例に対して、私の異分野への興味の拡散ぶりはそもそもが甚だしいものですが、「アウトプット指向の読書」ではなかった、という点。

「高いレベルの集中力で特定の時間ないにいきなりクリティカルマスを越える。ある水準を越えるとドカンとアウトプットの品質が上がる」というのは、例えば個展前の異常な集中時に経験したことでしょうか。
この集中力を日頃からコンスタントに発揮していればもっと…という罪悪感、ここは、本書の助けを借りて一度「開き直って」みてもいいかも、と感じたこと。

具体的に自分の仕事に当てはめることができなかった「心のマネジメント/無欲への挑戦」という部分。

このあたりをさらなる仮説として、試行を続けたいと思います。

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ところで、本書の中に「レゾナンス思考法/着眼両極・着手単極」の紹介があります。
そもそもが絵を描くこと(イメージすること)からスタートする私が、ビジネススクール時代に一番もどかしかったことなのですが(出会ったみんなは本当に大好きだし心から尊敬しているんですけどね!!ある種思考回路が似ているというか。笑)、
優れた経営者やコンサルタントが、この思考プロセスを経て「論理的な」アウトプットを生成するのに対して、
同じプロセスを経て「ビジュアル的な」アウトプットを生成するのが優れたデザイナーと言えるのだと思っています。
経営者の立場でのこの具体例は、フレッシュネスバーガー創業者である栗原幹雄さんの「面白いことをとことんやれば、「起業」は必ずうまくいく。」、
デザイナーの思考回路がわかる本としては、原研哉さんの「デザインのデザイン」、佐野研二郎さんの「思考のダイエット」などがあるので、(私の貧弱な読書歴の中からではありますが…)記しておきたいと思います。