【読書】人間は料理をする (上)

人間は料理をする (上)火と水 マイケル・ポーラン/野中香方子訳

人間は料理をする・上: 火と水

人間は料理をする・上: 火と水

 

発見、納得、感動…料理の楽しみ(作る、食べる双方)に溢れています。
純粋に作る、食べるという面だけではなく、その科学的裏付け、さらには料理の社会的な位置づけにも展開されており、そういった筆者の視点が、私自身の料理への興味とリンクして、大いに共感しながら読み進みました。
そう。
料理は愛情や暖かさ(だけ)ではない。
知的活動であり、科学であり、社会への宣言なのだ!
下巻も楽しみです。

うま味にまつわるもうひとつの謎は、それが多くの食物の味だけでなく、質感―もっと正確に言うと、わたしたちがそれを食べた感じ―も変えることだ。スープにうま味を加えると、より「豊か」に感じられるだけではなく、濃度が増したように思えるのだ。うま味には共感覚性があるらしい。

日曜にその週の食事をまとめて作る、あるいはこれまで買うだけだったものを時々作ってみる、こうしたささやかな変化でさえ、一票を投じることになる。何に対する一票だろう?そう、大半の人が料理をしなくてよくなった世界であえて料理をするのは、専門化、暮らしの完全な合理化、そして隙あらば入り込もうとする商業的動機に対する、異議申し立てに一票を投じることなのだ。(中略)暇を見つけて料理を楽しむことは、わたしたちが起きている時間をすべて消費させる機会と見なす企業に決別を宣言し、依存体質から脱却することなのである。(25p)

料理は、植物と動物を変えるだけではない。それは、わたしたちをただの消費者から生産者へと変えるのである。
(中略)
自分の中で、消費者より生産者の比重を増やしていこう。生活に必要なものを自分で作ることを習慣にしていけば、自立心と自由が増し、どこか遠くにある企業への依存が減っていく。
(中略)
料理は、現代の暮らしでは希少になった機会―自分の力で働き、食を提供することで人を支え、自分も支えられるという稀な機会―をもたらす。これが「生活」ということでなければ、何がそうなのだろう。(26p)

食の産業化は、仕事を持つ女性や、家事労働からの解放を訴えるフェミニストの要求に応えて始まったのではなく、むしろ供給側から始まった、とシャピロは見ている。食品の加工は、作物を栽培したり、そのまま売ったりするより、はるかに利益になるからだ。つまり、多くの女性がキッチンからでて行く前から、すでに食品産業はキッチンに入り込む戦略を練っていたのである。(224p)

結局のところ、女性は男性をキッチンへ引き入れることに成功したのだ。ただそれは夫ではなく、食品メーカーやスーパーマーケットで働く男たちだった。(228p)