風を聴く/雨が舞う

大阪・九条のシネヌーヴォにて、台湾のドキュメンタリー映画を二本観てきました。
「風を聴くー台湾・九份物語」
「雨が舞うー雨絲飛舞・金瓜石残照」
です。

台北から車で一時間ほどのところにある、基隆山という金山を挟んだ二つの金鉱街、九份と金瓜石のある時代〜昭和初期から終戦時代の、日本統治時代〜を、当時を知る人のインタビューで語ってゆきます。
九份は観光地としても有名なので、行ったことがある人は多いかもしれません。私も二度訪れているのですが、その街の成り立ちについてはなんとなく聞いたような…くらいでした。
金瓜石については、台北や九份で見かけるバスの行き先に必ず表示されているというので記憶はしていたものの、その背景はまるで知らず。今回初めて知って、機会があれば訪れてみたいなと。
ただ、九份(の、観光エリア以外)も金瓜石も、かつての金鉱街というだけで、現在は寂れた街のようです。言葉ができるようになって、現地の情報も得られるようになってから行ったほうが面白いかもしれません。

今回興味を引いたのは、そういった街の成り立ち以上に、その時代を生きた人たちの言葉、気持ちでした。
それは私の台湾全体への興味とイコールなのですが、ある時突然日本という異国に支配されるようになって、嫌な思いをしたに違いないのにも関わらず、彼らから感じるあの暖かさの背景には何があるのか?(あるいはそれは表層的な印象に過ぎないのか?)。
今回のインタビューを見ていると、やはり直接的/間接的に差別はあったようです。
また、映画内では直接扱われていなかったものの、日本人によるひどい事件もあったようです。
終戦によって日本人が引き上げ、大陸から国民党がやってくる、そのことを当時の人は期待を持って受け入れ、しかし実際は失望に変わってしまったこと。もしかしたらそれが、相対的に日本統治時代の印象を良くしたのかもしれません。
あるいは、台湾人という理由は関係なく、戦争という辛い体験を経て、長い人生を歩んだことで身につけてきた人間だからこそ身につけた大らかさなのか。

まだ、わかりません。
ただ、彼らが何かしら状況を「受け入れ、赦し」ていること、それは確かで、その態度にこそ私は強烈に惹き付けられているんだということを、今回は再確認しました。
日本の警察によるでっちあげともいえる容疑で連行され、収容先の刑務所で空襲に遭い亡くなった父親を持つ男性が語っていました。
「その後、政府は二つ(台湾と日本)に分かれてしまった。一つの政府(台湾)は当時のことはわからない。もう一つの政府(日本)はもはや関心すら持ってくれていない。国交も曖昧なまま。私はただ、心の中に想うことしかできないのです。」

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あと、もう一点。
映画内のインタビューは、日本統治時代に教育を受けた世代が中心ということで、その多くが日本語によって語られていました。
日本語で語られる、異国の人の体験、気持ち。
言葉が通じるというのはすごいことです。
初めて台湾に行った時、日本語の通じ具合に大層驚いたものです。英語圏の人であれば、世界の主要なところではほぼ英語は通じ、自分自身を適応させる努力は相対的に低いままどこでも渡り歩けるわけですが、その疑似体験。
そのときは単純にそう思うに留まっていました。
ただ、その後少しの時間を経て、中国語を勉強しようと思い立ち、続けているその動機の裏側に、今日は再会した気分です。
言葉が通じることで、「同じ人間である」という証しにダイレクトにアクセスできると同時に、「違い」という宝物にも出会える。
言葉を学ぶのには時間がかかります。進歩がわかりづらくて興味が薄れそうにもなります。
でも、やっぱり私はこの人たちと交流してみたい。改めてそう思いました。
大らかさ、受け入れること、赦すこと、そのココロに触れたい。
私の台湾熱はまだまだ続きます。

今天台灣生日。雙十節 國慶日快樂!