なら国際映画祭「高木正勝特集」

久しぶりに音楽イベントに行ってきました。
なら国際映画祭の高木正勝さんの映像上映&ピアノソロコンサートです。

高木さんの音楽は、たまにちらっと耳にして良いなと思ってたくらいで
ちゃんと聴いたことはなかったのですが、
お隣の奈良県で、生演奏が聴ける機会だったので、これもご縁かと出かけました。

映画監督の河瀬直美さんとの対談や、ドキュメンタリーフィルムの上映もあったので
高木さんの、制作過程で考えていることや、音楽のイメージを垣間みれて興味深かったです。

高木さんの音楽って、身体感覚をすごく大事にしているんですね。
私は今は音楽はやっていないですが、
気持ちのままに音を出す(歌でも楽器でも)とか、
体を動かすってのはたまに無意識にやってまして(傍から見たらへんですよね、笑)、
なので、高木さんのおっしゃってることもそういうことかな、と共感しました。
観終わったあと、夫が「シャーマン的な…」と言っていたのですが、そうともいえますね。
でも、それは、自分の外にある霊的な物というよりは、究極の身体感覚。
この感覚って、ものづくりをする人間には絶対的に大切なものだと思います。
ただ、しかし、、私の場合……
音やダンスに関してはともかく、それが絵になるとどうなんだろう…
高木さんの音楽を聴きながら、この感覚を絵にするとしたら…というイメージをずっと追いかけていたのですが、逆に言うと、それができてないことが自分の課題なのかなーと思ったり…というか、まさにそうなんですよね…(しょぼん)

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以下、印象に残った言葉です。(正確な言葉は覚えてないので、そういった内容の言葉、ということで)

「(理想形としては)ダンスを踊りたいのかもしれない」
目指す音楽のイメージの例えとしておっしゃっていたこと。
なんかわかる気がします。
解き放ちたい、自分の身体感覚にぴったり一致させたい、ということでしょうか。

「聴かせるための音楽ではなくて、自分自身が楽しい音楽」
制作の究極であり、基本でもあると思いました。
自分の中にあるぼんやりした感覚をつかまえて、慎重に慎重にそのカタチを明確にしていく作業。
その間、自分のバイオリズムを絶対に裏切らないこと。
それを、どんな状況でも、お客さんの前でもストン、とできるようになれるのが理想と思います。

「(ある時期から)自然界にある音と自分の奏でる音で会話する感覚を得た」
それまでは海の音はあくまで海の音だったのが
ある時、自然音に対して自分が音を出したときに、自然とミックスされて一つの音楽になるようなそういう感覚を得たと。
そういうふうなことをおっしゃっていました。

「(制作中は)風の色が見える」
解き放ち、研ぎすます…。
なのに、日常に戻ると見えなくなる、それが大変なんだ、ということもおっしゃってました。
戻れなかったらそれこそ大変なんでしょうけども(現実としては)、
感覚をある程度コントロールして現実社会に対応することと、
感覚を全開にして研ぎすますこと、またその範囲を広げるべく自分を磨くこと、
その行ったり来たりが、ものづくりの人間の日常といえるよなぁと思いました。

それにしても、ドキュメンタリーフィルム(或る音楽)で演奏されていた、Tai Rei Tei Rioのライブが素晴らしかった!
会場はスピーカーの限界か、ちょっと残念な部分があったのですが、それだけに生演奏、聴きたかったなぁ!!。

あと、今調べて知ったんですが、奥様が高木紗恵子さんなんですね。今日音楽と映像見ながら、似てるなぁと思ってたのでびっくりして納得!
紗恵子さんの絵も、印刷媒体でしか観た事ないので、こちらも機会があったらぜひ実物を拝見したいです。

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